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同志社の歌

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Doshisha College Song
同志社は英語の校歌を持つ数少ない学校の1つである。College Songと言いながら、幼稚園から中学、高校、大学まで同志社学園内のすべての学校で、校歌として歌われている。1908(明治41)年William M.Voriesの作詞、翌1909年に同志社校歌として制定された。

この曲が校歌に選ばれた理由として、従来、その旋律が堂々としていて壮大であり、青年らしく元気に満ちた曲であることが挙げられていた。その他の理由に、アメリカのYale大学の校歌Bright College Yearsも同じメロディーを用いているために、当時の同志社にはYale大学出身の宣教師や先生方が多くおられ、その先生方が自分たちの慣れ親しんだ曲を校歌のメロディーとして採用することにしたのではないかと考えられている。
若草萌えて
同志社大学で応援歌である。『レッツゴー同志社』『戦いの野に』とともによく歌われる応援歌である。













同志社校歌
日本語の『同志社校歌』。1935(昭和10)年、同志社創立60週年記念誌『我らの同志社』に、「生まれる我らの歌」として、この『同志社校歌』と前述の『同志社大学歌』が紹介された。英語の同志社校歌Doshisha College Songはすでに1909(明治42)年より歌い続けられてきたが、日本語の校歌がほしいという卒業生、教職員、学生たちの希望により作られた。

作詞は湯浅吉郎、作曲は大中寅二。作詞の湯浅吉郎は、詩人であり、かつ学者。同志社大学神学部教授であり、号を半月といい、湯浅半月としても知られる。同志社の校章、記章、シンボル・マークの発案者でもある。
Doshisha Heroes, Doshisha Cheer
この2曲は、同志社大学応援団の第一応援歌で、応援を行う際に最初に必ず歌う曲である。歌われる頻度は非常に高く、応援を盛り上げるためには欠かせない曲である。












同志社大学歌
1935(昭和10)年、同志社創立60週年を記念して2つの同志社の歌が生まれた。この『同志社大学歌』と後述の『同志社校歌』である。『同志社校歌』の方は、学校当局の発案により作られたものであるが、『同志社大学歌』は、学生が主体となって企画し、作詞作曲を依頼したと言われている。この時に作詞と作曲を依頼したのが、作詞・北原白秋、作曲・山田耕筰という超一流の大物達である。

北原白秋は、この曲の作詞の構想を練るために、何度も同志社を訪れたと言われている。また、山田耕筰は、『大学歌』の歌詞について、各節を通じて、最初の2行は、「同士大学の精神を真面目に考え、それを主張している。」、そして、3行目、4行目は、「それを実行に移そうとする叫びであると思う。」と述べている。
庭上の一寒梅(寒梅の詩)
『庭上の一寒梅(寒梅の詩)』の作詞者は、同志社創立者の新島襄である。『庭上の一寒梅(寒梅の詩)』の詩そのものは、詩吟でも有名である。この曲は同志社大学室町キャンパスに位置する大学会館である「寒梅館」の名前の由来となった。
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